教養としての工学
  ビジネス倫理・技術者倫理の前提知識
   ー 詳述資料 ー
 

米 独立宣言



米 独立宣言




アメリカ合衆国憲法[前文]

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に 備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。
We the People of the United States, in order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defence, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.






 

議論


議論 - ソクラテス



≪議論1≫
プラトン「ソクラテスの弁明」の読み方
 西洋哲学の祖と言われるソクラテスは、エンジニアだった。アテナイで石工として生計を立て、家族を養ってきたが、70歳にして告発され、市民による公開裁判で多数決による死刑評決を受けて死を迎えた。経典、教典などのない時代に、ソクラテスはその生涯を通じて、神による真理には合理的な体系があると信じ、知識を生業の糧としていると彼が判断した三つの市民層である、①社会の指導者、②詩人などの知識人、③技術の達人である職人に、断片的な知識の合理的体系を問い続けた。その結果、いずれの知的市民も体系的な真理を全く持ち合わせていないことを知った。
 この問いは、公共の場でいわば公開の討論だったので、ソクラテスの相手をなった者はすべて、公衆の面前でソクラテスに言い負かされたことになる。そして徐々に、若者たちがソクラテスの周りに集まるようになっていったようだ。これが、いかがわしい教祖が将来を嘱望される若者を惑わし、アテナイに反逆している、という告発になってしまった。
 ソクラテスは、彼が唱える何かの真実に殉じたのではなく、弁舌でもって合理的真理に近づくという手法に、妥協を拒否して、殉じたことになる。知識の合理的体系を真摯に求めることから生まれたこの手法は、定着し、大きな力を発揮し続けている。だが、ソクラテス個人は、真理へ接近しようとすることを多くの市民には理解されず、民主的な多数決で死刑の罪として葬り去られた。人間の仕業が死を挟んで激突することに恐れ戦く。

(長井)

≪議論2≫
 議論1を発展させたい。
 発展形を考える視点は、ソクラテスは書き物を残さなかったので、書き物を残したのは弟子のプラトン等であり、その過程で書いた人の考え方が混入し、それがルネッサンスを経て私たちの時代に伝えられているので、私たちのソクラテス理解は不十分かもしれない(私たちが西欧哲学として理解しているソクラテス像は偏っているかもしれない)という見方である。議論1はその見方につながっているように感じられる。
 この見方につながる本に、次のものがある。
   八木雄二「裸足のソクラテス 哲学の祖の実像を追う」春秋社(2017)
この本のpp.259-260に「説明する知と行動する知」についての記述がある。前者はプラトン、アリストテレスであり、後者はソクラテスである。

(大来)

≪議論3≫
 ごく単純な質問。
 「ソクラテスはエンジニアだった」の根拠は?若い時代の生計が石工だったから? それとも、我々のNPO目的がエンジニアリング研究と進歩なので、それと関連づけての表現なのか?
 「職人」、「エンジニア」、「芸術家」の区分を意図しているのかなとも思われるが、その時代のソクラテスの業績・作品の記録はネット情報には見当らない。(Wikiの英語記事もざっくり読んでみたが・・) 一例は日本大百科全書(ニッポニカ)の「ソクラテス」の項の解説。「ソクラテス問題」も重要。

(池田)

≪議論4≫
(1)エンジニアもサイエンティストも定義され始めたのが、産業革命前後なので、ソクラテス当時には、「エンジニア」はいない。
(2)何も書き残さなかった、は仏陀にも当てはまる。高弟による仏陀語録(=仏典)と古代仏教資料との間に矛盾も指摘されているようだ。
中国語訳を原典として輸入した日本僧の中で中国語を完全に理解し、もしかするとサンスクリット原典も読めたのは空海だけではなかったか、との話を聞いたことがある。
様々なバイアスがかかった文言から、原点を読み取る力が求められるということになる。学術論文、教科書の勉強の極意に通じるものがあるのではないか。

(長井)



 

議論


議論 - ジョン・ロック



≪議論1≫
 ジョン・ロック 「統治二論」を読んで、まず「三権分立」を考え直した。
 <岩波文庫、加藤節訳 2010年11月16日刊行 本文593ページ>
 学校での勉強で、日本国憲法は「三権分立」であり、立法、行政、司法の三つの独立した国権を担う機関がお互いに抑制し合い、バランスを保って、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障するようにしていると理解してきた。どうも、私はこの意味を完全には理解していなかったようである。
 ロックは、「最高権力である立法権力」と規定しており、立法権力がいかなる場合にも最優先すると述べている。そこで、改めて日本国憲法を本棚からが取り出してみて、関連条文を読み直した。
 第41条「国会の地位」 国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」とある。
ロックの規定を忠実に踏襲していることを再確認した。ところが現在、実質、内閣(憲法上は、行政権を担う)が「最高機関」となっているように感じるのは私だけだろうか。
 本書におけるロックの基本論理を私は以下のように理解した。神は「理性を持った被造物」(すなわちヒト)をすべて平等に造られ、ヒトが自らが開拓した土地とそこで労働を通じて拵えた価値を自らの生存のために自由に使う権利をお与えになった。その自由の権利を委託しているのが立法権機関であり、立法権機関が定めたきまり以外の命令等に遵う必要はない。また、立法および支配に当たる勢力が不都合となれば、その勢力を排除する権利も持つ(革命権)。これが神の意志である。
 「統治二論」は、主に、王権神授説を唱えるロバート・フィルマーを論破する目的で書かれている。そのフィルマーは「いかなる人間も自由には生まれついていない」ことを論拠にしている。フィルマーの基本論理を私は以下のように理解した。神は、まずアダムを造り、アダムは自分の一部からイブを作り、その後、子をもうけた。神は、アダムにその家族を支配するように命じられた。これが王権の起源であり、アダムの正当な子孫のみが王になる権利を持ち、すべての民の唯一の支配者となる。また、元来、女は男に従属するよう作られたことは認めざるを得ない、と。
 どのようにロックがフィルマーの論理を根底的に否定しているかは本書を斜め読みしても面白いので、ここでは紹介しないが、ロックの論証もすべて聖書の記述に基づいている。
ふと思うと、ロックが敬虔なピューリタントとして論理を展開していることに気づく。本書の論理展開について、キリスト者は自然と理解できるのかもしれないが、多くの日本人にとっては、西欧キリスト社会と日本との文化的歴史的背景の違いに越えがたい境界を感じるのではないかとの怖れを抱く。
 日本は、戦後初めてではなく、明治憲法から議会制および権力分立制を取り入れたので、日本の立法権、国権システムを正当に論じるためには、明治に遡って検討しないと全容が理解できないということも思い知らされた。明治憲法第5条には「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」とある。憲法上、立法権は天皇にあるが、議会の賛同が無いと法案は成立しなかったので、実質、欧州などの当時の立憲君主国と同様の立法体制だったと言える、一方、維新主導者達は、政党政治による議会制の展開を相当恐れていたらしい。私には、政党政治がすべての国民の自由と幸福を原点とする民主制に直結するとは思えないが、個人に立脚した日本的な民主制の確立のためには長い道のりが続くように思わざるを得ない。

(長井)


≪議論2≫
 文中の「民主主義」について、どのように理解したらよいか。英語ならdemocracyで、独裁政治(autocracy)や貴族政治(aristocracy)などと同様に、統治形態を示す言葉であろう。民に主権がある統治形態である。それなら「民主政治」と表現すれば済みそうだが。
 民主主義の「主義」(ism, principle)にこだわると、自由主義、社会主義、共産主義などの言葉と並べたくなる。そうなると統治形態ではなく、価値観の問題になる。
 宗教にせよ、政治にせよ、技術者倫理にせよ、結局は価値、価値観の議論になる。

(大来)


≪議論3≫
 価値をどう認識し、価値観がどう形成されていったのかは、視点として大切である。
「民主主義」は、多数決原理のことから見れば、アテナイでのソクラテス市民裁判で既に取り入れられている。個人の権利を認め、平等に尊重する、少数意見も大事、ということから見れば、ロックが主張している。
「民主主義」そのものにはあまり深い関心を持っていないが、「民主制であるべき」という前提で物事を考えている。
 私は理論的には、主権が国民にあれば「立憲君主制」も「民主制」の一形態足り得るという考えである。世界の多くの普通の人からは、日本は「主権在民の君主制」とみられているのではないか。
 個人の権利をさらに進め、晩年婦人参政権運動もやった、ミルの「自由論」、ナチスのような民主制からの独裁を許した大衆の「自由」を論じたフロムの「自由からの逃走」なども考えてみたい。
 日本人は、個人の権利意識が弱い、社会は与えられたもの意識が強いと言われる、その点の深堀りに私の基本的な関心がある。

(長井)


 

参考資料


参考資料



米 独立宣言 参考文献


 (1)「データブック・オブ・ザ・ワールド2018」、二宮書店
人口、農林水産業、エネルギー、鉱工業、交通・通信、貿易、環境問題などの様々な切り口で、世界各国の状況を知ることができる。
いくつかのデータを日本と対比しつつ拾い出してみよう。

 (2) 小室直樹「悪の民主主義 民主主義原論」青春出版社(1997/11発売)
「米国の歴史と民主主義の基本文書」に収録されている。




複式簿記 参考文献

財務諸表の作り方を学びたいのか、読み方を学びたいのか、その歴史を学ぶことによって現在の姿を理解したいのかによって、参考文献は変わってくる。
読み方の動機付けのための情報としては、たとえば次がある。
 小宮一慶「法学部卒の私が「会計」を教えられるワケ」、PRESIDENT Online、2018.8.19
歴史を学ぶ本としては、たとえば次がある。
 渡邉 泉「会計学の誕生 - 複式簿記が変えた世界」、岩波書店、2017年11月、岩波新書1687