米 独立宣言 1776
アメリカ合衆国が世界の強大国であり、今後も強大国であり続けることを、疑ってもあまり意味がないだろう。その強大さを定量的に知りたい場合には、各種統計を調べればよい。ここではアメリカ合衆国の歴史を垣間見ることにより、現在の姿を理解し、これから彼らが進むであろう道を考える上でのヒントにしたい。
アメリカ合衆国は1776年7月4日に英国からの独立を宣言し、フィラデルフィアで開催された憲法会議で1787年9月7日に各州の代表が憲法に署名して成立した共和国である。『独立宣言の執筆に当たり、ジェファソンは、自然権と個人の自由という理念を重視した。これらは、17 世紀の哲学者ジョン・ロックらによって広く提唱されていた理念であった。独立宣言の冒頭には、「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と述べられている。』3
引き続いてアメリカ合衆国は、人間の自然権と人民主権の概念を憲法で成文化し人民主権の概念の明確化た。さらに1791年には「権利の章典」(10か条の憲法修正条項)を定めた。
ただ、制定された憲法では奴隷は5分の3人として計算していた。独立宣言で平等をうたいながら、女性、インディアン、黒人は差別されていた。その差別の撤廃には、長い年月にわたる戦いが必要だった。
独立宣言には、次のように書かれている。『われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づい て正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったと きには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が 最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の 権力を組織する権利を有するということ、である。』4
長い年月にわたる戦いには多くの人が参加した。たとえば、エイブラハム・リンカーンが、あるいはマーティン・ルーサー・キングJr.が。
リンカーンは次の言葉を残している。
『「すべての人は平等に創られている」という主張は、われわれが英国からの分離を達成するに当たって、実際には役に立たなかった。この主張が独立宣言に盛り込まれたのは、そのためではなく、将来使うためだった』5
キングは「私には夢がある」(I Have a Dream)という演説を首都ワシントンで行った(1963年8月28日)。翌年、米国連邦議会は「1964年公民権法」を通過させた。そののち、キングは暗殺された(1968年 4月4日)。キングの演説の一部を紹介する。
『絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
今日、私には夢がある。』6
アメリカ合衆国では今なお差別撤廃運動が強力に推進されている。運動が推進されているということは、今なお強い差別があることの裏返しでもある。その社会実態を学ぶことは、私たちの心の中、思考の中にある差別を問い直してみることにもつながる。
オリジナルとなる英語と日本語訳の両方を見ることができる。
4 (同上)
5 「エイブラハム・リンカーン 自由という遺産」p.61
「米国の歴史と民主主義の基本文書」に収録されている。
6 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア「私には夢がある」