議論 - ジョン・ロック
≪議論1≫
ジョン・ロック 「統治二論」を読んで、まず「三権分立」を考え直した。
<岩波文庫、加藤節訳 2010年11月16日刊行 本文593ページ>
学校での勉強で、日本国憲法は「三権分立」であり、立法、行政、司法の三つの独立した国権を担う機関がお互いに抑制し合い、バランスを保って、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障するようにしていると理解してきた。どうも、私はこの意味を完全には理解していなかったようである。
ロックは、「最高権力である立法権力」と規定しており、立法権力がいかなる場合にも最優先すると述べている。そこで、改めて日本国憲法を本棚からが取り出してみて、関連条文を読み直した。
第41条「国会の地位」 国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」とある。
ロックの規定を忠実に踏襲していることを再確認した。ところが現在、実質、内閣(憲法上は、行政権を担う)が「最高機関」となっているように感じるのは私だけだろうか。
本書におけるロックの基本論理を私は以下のように理解した。神は「理性を持った被造物」(すなわちヒト)をすべて平等に造られ、ヒトが自らが開拓した土地とそこで労働を通じて拵えた価値を自らの生存のために自由に使う権利をお与えになった。その自由の権利を委託しているのが立法権機関であり、立法権機関が定めたきまり以外の命令等に遵う必要はない。また、立法および支配に当たる勢力が不都合となれば、その勢力を排除する権利も持つ(革命権)。これが神の意志である。
「統治二論」は、主に、王権神授説を唱えるロバート・フィルマーを論破する目的で書かれている。そのフィルマーは「いかなる人間も自由には生まれついていない」ことを論拠にしている。フィルマーの基本論理を私は以下のように理解した。神は、まずアダムを造り、アダムは自分の一部からイブを作り、その後、子をもうけた。神は、アダムにその家族を支配するように命じられた。これが王権の起源であり、アダムの正当な子孫のみが王になる権利を持ち、すべての民の唯一の支配者となる。また、元来、女は男に従属するよう作られたことは認めざるを得ない、と。
どのようにロックがフィルマーの論理を根底的に否定しているかは本書を斜め読みしても面白いので、ここでは紹介しないが、ロックの論証もすべて聖書の記述に基づいている。
ふと思うと、ロックが敬虔なピューリタントとして論理を展開していることに気づく。本書の論理展開について、キリスト者は自然と理解できるのかもしれないが、多くの日本人にとっては、西欧キリスト社会と日本との文化的歴史的背景の違いに越えがたい境界を感じるのではないかとの怖れを抱く。
日本は、戦後初めてではなく、明治憲法から議会制および権力分立制を取り入れたので、日本の立法権、国権システムを正当に論じるためには、明治に遡って検討しないと全容が理解できないということも思い知らされた。明治憲法第5条には「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」とある。憲法上、立法権は天皇にあるが、議会の賛同が無いと法案は成立しなかったので、実質、欧州などの当時の立憲君主国と同様の立法体制だったと言える、一方、維新主導者達は、政党政治による議会制の展開を相当恐れていたらしい。私には、政党政治がすべての国民の自由と幸福を原点とする民主制に直結するとは思えないが、個人に立脚した日本的な民主制の確立のためには長い道のりが続くように思わざるを得ない。
≪議論2≫
文中の「民主主義」について、どのように理解したらよいか。英語ならdemocracyで、独裁政治(autocracy)や貴族政治(aristocracy)などと同様に、統治形態を示す言葉であろう。民に主権がある統治形態である。それなら「民主政治」と表現すれば済みそうだが。
民主主義の「主義」(ism, principle)にこだわると、自由主義、社会主義、共産主義などの言葉と並べたくなる。そうなると統治形態ではなく、価値観の問題になる。
宗教にせよ、政治にせよ、技術者倫理にせよ、結局は価値、価値観の議論になる。
≪議論3≫
価値をどう認識し、価値観がどう形成されていったのかは、視点として大切である。
「民主主義」は、多数決原理のことから見れば、アテナイでのソクラテス市民裁判で既に取り入れられている。個人の権利を認め、平等に尊重する、少数意見も大事、ということから見れば、ロックが主張している。
「民主主義」そのものにはあまり深い関心を持っていないが、「民主制であるべき」という前提で物事を考えている。
私は理論的には、主権が国民にあれば「立憲君主制」も「民主制」の一形態足り得るという考えである。世界の多くの普通の人からは、日本は「主権在民の君主制」とみられているのではないか。
個人の権利をさらに進め、晩年婦人参政権運動もやった、ミルの「自由論」、ナチスのような民主制からの独裁を許した大衆の「自由」を論じたフロムの「自由からの逃走」なども考えてみたい。
日本人は、個人の権利意識が弱い、社会は与えられたもの意識が強いと言われる、その点の深堀りに私の基本的な関心がある。