KJ法の原点に戻る
KJ法は川喜田二郎が考案した思考法である。その源は川喜田が自らの専門分野である文化人類学研究で実践した方法論にあるが、科学研究にとどまらずビジネス領域等でも使われ、彼により一つの思想としてまとめあげられた。この実践手法と彼の思想は、次世代に向けて生かすべきものを持っており、その意義を確認しておきたい。
1.思想
川喜田二郎は文化人類学の現地調査で得られるデータの含意を科学的に究明しようとする中から、そこに確とした方法論がないことに気づき、自ら方法論の確立に取り組んだ。集められたデータから解決するべき課題を抽出する作業の姿勢に、彼の思想が最もはっきりと表れている。その部分を抽出すると、次のようになる。
表1 作業手順に見られる川喜田の考え方
民主主義という言葉は広く日本社会に根付いている。しかし言葉は根付いているが、その精神はどのように捉えられているだろうか。民主主義には言論の自由という基本思想があるため、少数意見を拒否はしないし、少数派が多数派になろうとする努力を強権によって否定することもしないが、少数意見は多数決原理により排除する。この多数決が、川喜田の思考方法と相容れない。彼は「民主主義の根本からの再建」を提言し、「参画社会」の実現をめざす(1)。
役割分担(時にそれは会社内や研究室内の権力構造である)があっても、現場データを収集し、そこから取組課題を明確にする段階で、KJ法の方法と思想は極めて魅力的である。
2.一仕事(ひとしごと)
川喜田は問題を提起する段階から、結果を得てそれを味わうまでの段階を「一仕事(ひとしごと)」と表現する。それをW型の図解として示したものが、図1である。図1 一仕事(ひとしごと)
出所:川喜田二郎「発想法」第2図(p.23)
彼は、図の思考レベル、経験レベルをそれぞれ書斎科学、実験科学であるとし、前者には過去2000年の、後者には300年の蓄積があるとする。それに対して、下と上をつなぐC→D部分(それは野外研究という科学の一部分)には科学的な方法論がなく、それが今、必要とされていると主張する。
1章の表1のNo.4~8はC→Dの作業の一部分(全部ではない)を示したものになっている。彼は自分が考案し実践してきた一連の野外科学の方法について、京大の仲間である上山俊平に「学問の長い歴史の中でどういう位置を占め、何と呼ばれるべきか」を相談する。上山は川喜田のデータのまとめ方(図のCD)に注目し、そこは abduction と呼ばれるべきであるとした。川喜田はそのステップを「アブダクション」と称することはせず、「発想」と称した。ちなみに、D→Eはdeduction(演繹)であり、G→Hはinduction(帰納)である(2)。
C→D→Eの作業ステップを示したものが、図2である。図2 発想から推論へ
順序が後先するが、Aは重要で、特にグループで問題にあたるときには、決定的に重要になる。研究者であれば、リサーチクエスチョンの設定と言ってもよい。ここでの問いがあいまいであったり、参加者の考えが不一致であったりすると、大きな成果は望めない。
また川喜田はA→Bではブレインストーミング手法を、E→FではPERT法(3)を重視する。ブレインストーミングは会議を含むグループ活動でよく用いられる手法である。彼は、①他人の意見を批判しない(否定しない)、②自由奔放に意見をだす、③出来るだけ多量の意見を出すことは、野外科学の「探検」の精神に同じであるとする。なお、ブレインストーミングでは以上の3つの注意点に加えて、④他人の意見を受けてそれを発展させることにも留意する(4)。
川喜田は、ブレインストーミング→KJ法(狭義)→PERT法の三位一体的適用により、日本人の創造性が発揮されると主張する(5)。また、単に作業をするのではなく、一仕事的に行為を行うことのやりがい、生きがいを重視し、そのプロセスを経験することによる人間としての成長を重視する(6)。
3.著作
川喜田二郎にはKJ法に直接かかわる著作が3冊ある。それらの執筆時期を図示したものが図3である。
図3 KJ法の著作の執筆時期 「発想法」は新書版として1967年に出版され、3年も経たないうちに「続・発想法」が出版された。2冊が相次いで出版されたこと、それぞれが多くの版を重ねたことから、KJ法がいかに多くの読者を獲得し、研修会を含む多くの現場で使われたかがうかがわれる。しかし多くの現場での実践は、川喜田の本来想定していなかったいわば「疑似KJ法」やKJ法に対する誤解・曲解を生むことになり、彼はそれに強い危機感を抱いた。彼の抱いた危機感は、2冊の新書に収録されている、重版時のまえがき、あとがきに、如実に表れている。また、あとがきに収録されている1984年6月執筆の次の記事(7)も、KJ法の位置づけを理解する上で重要であろう。『(デカルト的な)分析的・定量的・法則追及的な科学方法論の有効性を十分認めた上で、半面の大きな欠落を補おうとして総合的・定性的・独自性把握的な方法論を開拓したのが、より狭い意味でのKJ法なのである。』
この点について、川喜田は次のようにも述べる(8)。
『デカルトに象徴的に現れているように、近代西欧的な思考様式の中には、「視る自分」と「視られる外界」という二元論的な世界感覚の枠が、実にしぶとく固執されている。(中略) KJ法の思想では、このような主客の分離(主観と客観の分離)は、方便としては認めるが、決してそんなものを究極の枠とか前提として認めはしない。KJ法は、主客分離以前の、もっと根源的なものを問うところから出発しているのだ。(中略)それを「混沌」と呼んでおこう。KJ法は混沌から出発するのである。』
川喜田は混乱するKJ法の清流化を図るため、教育機関の設立をもくろみ、KJ法の標準テキストを執筆するに至った。それが1986年出版の「KJ法 - 混沌をして語らしめる」(四六判581ページ)である。正しいKJ法の普及を自らの使命であると位置づけた。彼は世にあるKJ法の混乱した受け止め方のうちで、KJ法は整理学とのとらえ方を最大の誤解(9)と言っているが、この本の副題である「混沌をして語らしめる」にはその想いが込められているのであろう。
現場から得られたKJラベルを眼前に拡げ、キーワード分類などの情報整理法を一切排して、感覚的をたよりに親近感を覚えるラベルを集め、集めた次のステップでなぜ親近感を覚えたのかを理性的にとことん追求する、そして複数に束ねられたラベルに表札を付け、複数の表札間の関係性(因果、対立、相関関係)を明示して解決するべき課題を具体的に特定し、解決のための計画を策定し、作業し、結果を味わう、それが方法論としてのKJ法である(10)。川喜田は次のように語っている(11)。
『この発想法は、分析の方法に特色があるのではなく、統合の方法である。はなればなれのものを結合して、新しい意味を作り出して行く方法論である。』
4.思考を深化させた環境
2章で、川喜田二郎が実践している一連の野外科学の方法について、上山俊平に「学問の長い歴史の中でどういう位置を占め、何と呼ばれるべきか」を相談したことに触れた。彼には京都の地が育んだ先輩、同輩、後輩がいた。その環境の中でKJ法は進化していった。哲学の先達としていわゆる京都学派の西田幾多郎らがいた。身近には学問的かつ探検的な取り組みの流れをつくった今西錦司がいた。同輩には文化人類学の梅棹忠夫や哲学の上山俊平がいた。梅棹は著書(12)のなかで、一人KJ法である「こざね法」を提案している(13)。やや遅れて、小松左京もいた。そしてそれらの集団の活動に参加して強い刺激を受けた上野千鶴子もいた。社会学の道を歩んだ上野千鶴子はKJ法を使いこみ、ケース分析とコード分析を組み合わせた「うえの式質的分析法」を提唱している(14)。ここに、創造的思考を育む風土・雰囲気の重要性を感じざるを得ない。
5.ウェブ情報
(1)http://idllife.blogspot.com/2012/10/blog-post_578.html
このブログは「ビジネスとデザインの交差点〜 創造科学への道」にある。筆者がイリノイ工科大学のD schoolに留学した体験記の一編であり(15)、内容は秀逸である。川喜田の「発想法」には「日本人はある意味で情報処理に不得手」であるとの指摘を中心とする興味深い記述があるが(16)、その記述の一部分をとりあげ、用語「KJ法」を「デザイン思考」に置き換えたパロディが、このブログである。
ブログの最後は「発想法」についての次の一節で締めくくられている。
『過去5年ほど、色々試行錯誤して個人的に調べてきたことの、ほとんどが、すでに50年前に体系化されていたこと。そして、その手法が日本で統合されていたものであったこと。そして、その手法、プロセスをアメリカで学びながらそのルーツに昔の日本人を見ること、とても不思議な気分です。この本は、「デザイン思考」、と呼ばれているものに興味がある人全てに強くおススメします。』
(2)http://www.saltad.co.jp/design/kj-method1/
事業創出コンサルティング/(株)Saltのウェブにある、「KJ法とは? デザイン思考・親和図法との関係とその手順」(投稿日 : 2018年10月16日)とのタイトルのブログである。KJ法についての要領の良い説明ととともに、日科技連が新QC7つ道具の一つとして推奨している親和図法(17)との関係の記述があり、興味深い。
(3)https://www.ideou.com/pages/design-thinking
IDEO UのDesign Thinkingのページである。IDEO Uの自己紹介(About Us)には次の記事がある。
“IDEO is an award-winning global design company that takes a human-centered, design thinking approach to help organizations innovate and grow. Through IDEO U, learn the methods and develop the mindsets that IDEO has practiced for decades to help organizations become more resilient, adaptable and innovative.”
そこではDesign Thinkingを次の直列する6ステップで説明している。6ステップは、かならずしもその順序を守らなくてもよいとの注記もある。
● Frame a Question(課題題組み立て)
● Gather Inspiration(インスピレーションの収集)
● Generate Ideas(アイディアの生成)
● Make Ideas Tangible(大まかなプロトタイプによるアイディアの実現性チェック)
● Test to Learn(プロトタイプをテストし、反響を集め、プロトタイプを改善する作業の繰り返し)
● Share the Story(ストーリーの共有)
このウェブサイトを見て、20年前に米国San Joseで訪問した科学博物館 “The Tech: Museum of Innovation” のことを思い出した。そこでは“Design Challenge”という体験学習プログラムを、小学校上級生を対象にして提供していた。Design Challengeは3つのステップを、順を追って展開する。3つのステップについて、次のような説明があった。
Investigate
(1) Identify problem & Constraints
(2) Brainstorm
(3) Research
Create/Re-Create
(1) Select a solution
(2) Design and Construct
(3) Test
(4) Redesign or modify
(5) Retest
Reflect
(1) Share solutions
(2) Reflection and discussion
Design Challengeに感心して帰国し、在日のアメリカ人日本研究者に紹介したところ、彼の返事は一言。「日本の教育の真似だよ。」
まとめ
Wikipediaの「川喜田二郎」によると、川喜田はチベット二郎の異名をもつほどのチベット文化の理解者であり、中華人民共和国政権のチベット侵攻に際し、抗議の論陣を張りガンデンポタン(亡命政府)を支援し、頑として訪中しない方針を貫いたとのことである。信念の人であり、行動の人であったのだろう。
「われわれは実験室の中で生きているのではない。現場を相手にして毎日生活している」(18)であり、「現場の経験こそ新しいものを生みだす真の力の源泉」(19)ところから出発して、「収束的思考と発散的思考」(20)を組み合わせる「実践的な技術として、だれでもがおこなえるようにする」(21)ことをめざし、管理化する現代の組織、そして社会を真に創造的、民主的なものにしようと志したのが、川喜田二郎であったのだろう。彼には三つの問いがあった(22)。
第1問 人はいかにして生きがいを感じうるか
第2問 ひと人の心はいかにすれば通じあうか
第3問 人の創造性はいかにして開発できるか
この問いには彼の思想が象徴されていると思う。
手法としてのKJ法には、W型図解、定型化されたカード(書ける文字数が制約され必然的にエッセンスを抽出した表現が求められる)、現場データからの発想を得る方法、結果のまとめ方(図解と文章化)など、数多くのオリジナルな部分があるが、ブレインストーミングやPERT法の組み込みなど、既存の使える手法も積極的に使っている。
研修の場においては、W型図解のステップを体験的に学ぶため、「現場」の共有が必要になるが、ハーバードビジネススクールのケース教材を使ったとのことである(23)。KJ法では「現場」を重視する。しかし研修に集う人々は時に現場を異にする人々であり、現場を共有することが困難になる。その問題を解決するためにケース教材を用いたのであろう。ビジネスの研究では、実際に起きた事実を多面的に調査し、そこからくみ取るべき教訓を、理論に照らして抽出する研究、あるいはそこから新たな理論を提唱する研究を実践する。その研究成果をベースとして、筆者の価値判断を入れずに、実際に有った事実、当事者の証言等を記述したものが、ビジネススクールのケース教材である(24)。
教典的な正則本を重視し、我を抜くためには3泊4日の研修が必要であると強調し、移動大学の実践とあらたな教育機関の設立の提案を行った。そこで体得されるものこそが「正しい」KJ法であるとの主張は、その他の取組み方は「正しくない」との雰囲気を彼の生み、世直し運動の教祖的な立場に自らを追いやることによって、KJ法が本来有していた問題解決技法、そして能力開発技法としての発展、さらには真に民主的な会社や社会の実現を阻害することになってしまったのではないだろうか。
今、改めてKJ法を学び、実践するべきと思う。
文献
上野千鶴子「情報生産者になる」ちくま新書(2019)
梅棹忠夫「知的生産の技術」岩波新書(1969)
川喜田二郎「発想法 創造性開発のために(改版)」中公新書(2017、初版は1967)・・・本文、文末脚注中では「発想法」と略記する
川喜田二郎「続・発想法 -KJ法の展開と応用-」中公新書(1970)・・・本文、文末脚注中では「続・発想法」と略記する
川喜田二郎「KJ法 混沌をして語らしめる」中央公論社(1986)・・・本文、文末脚注中では「KJ法」と略記する
文末脚注
(1) 「続・発想法」p.6
(2) 「KJ法」p. 32
(3) Program Evaluation and Review Technique法
(4) 「発想法」p.61
(5) 「発想法」p.148
(6) 「KJ法」p. 35, p.41
(7) 「発想法」p. 220 ここに示される川喜田の見方は、興味深い。一般に科学は定量的であること、論理的であることを目指すが、直感を重視、心に聴き、混とんをして語らせようとする点に、科学を超越した普遍を感じる。ものごとの関係を因果とか相関だけでなく、因縁としてもとらえることで、全体を把握しようとしていたとも言えるのではないか。
(8) 「KJ法」p.459 なお、本文引用中の「(主観と客観の分離)」は原文の他の部分にある表現をここに挿入したもの。
(9) 「続・発想法」p.272 なお、整理を書名に入れた外山滋比古「思考の整理学」ちくま文庫(1986)とか野口悠紀雄「「超」整理法-情報検索と発想の新システム」中公新書(1993)などもあり、何を整理と呼ぶかにもよってくる。外山の本は発想の観点からも、多くを学べる。
(10) 1ラウンドと呼ばれる最も狭い意味でのKJ法の一巡工程から、広い意味の一ラウンド、さらには何ラウンドをも累積的に使う「累積KJ法」がある。
(11) 「発想法」p.204
(12) 梅棹忠夫「知的生産の技術」岩波新書(1969)
(13) こざねは札のこと、いわゆるカードである。梅棹は自らの知的生産の実践の中で、文具会社にカードを特注して作らせた。そのカードは後日「京大カード」として市販されるようになり、普及した。
(14) 上野千鶴子「情報生産者になる」ちくま新書(2019)
(15) このブログに付された記事には次のように書かれている。『このブログは、マーケティングの世界で生きてきた筆者が、2012年8月から1年間アメリカのシカゴ、イリノイ工科大学のD schoolに留学する筆者の留学体験記です。 イリノイ工科大学のD school(http://www.id.iit.edu/ )は、デザイナー、エンジニア、ビジネスのメンバーによって構成され、異なる背景を持つ人の交差点から新しいアイデアを生み出すことを意図されてデザインされ、デザインの実務というよりデザイン思考を使った戦略立案や、商品/サービス開発、改善の方法論を教えています。 D schoolといえばデザイナーではない人にとって敷居の高い印象が有ると思いますが、デザイナーではない視点から、D schoolで行われているプログラムについてレポートしたいと思っています。 D schoolの生活についてご質問がございましたら気軽にiitidlife@gmail.comまでお問い合わせください。』(16) 「発想法」P.136~の「日本人とKJ法」の一節を参照
(17) 日科技連が提唱する親和図法については、たとえば次のURLを参照
https://www.i-juse.co.jp/statistics/product/func/nqc/affinity.html
(18) 「発想法」p.198
(19) 「続・発想法」p.5
(20) 「発想法」p.108
(21) 「続・発想法」p.11
(22) 「続・発想法」p.11
(23) 「続・発想法」p.269
(24) L. B. バーンズ、C. R. クリステンセン、A. J. ハンセン著、高木晴夫訳「ケースメソッド実践原理―ディスカッション・リーダーシップの本質」ダイヤモンド社(1997)を参考にしての記述である。
(2021-8 YO)